2013年1月5日土曜日

Mezzanine|Massive Attack



 自分の人生を変えた一枚の一つ、98年発表の問題作。"Mezzanine" - イタリア語で中二階を意味するがメンバーの3D曰く「前にも後にも分裂症が待ち構えてる病んだ精神状態」という言葉からもわかる通りそのサウンドは現代の退廃と絶望を表現している。しかしその傍ら、シングル曲"Teardrop"でみせる至上の美と静謐さは一体何なのか?

 トリップホップという気の利かないジャンル名よりはブリストルサウンドといった方がピンとくるかもしれない、ポーティスヘッド、トリッキー等、ドイツ系(D.A.F.、Einsturzende Neubauten)とは一線を画すインダストリアル・サウンドとミックスカルチャーから派生したDub&HipHopサウンドが特徴だ。今回もおなじみのホレス・アンディほか、エリザベス・フレイザー、サラ・ジェイなどの豪華なヴォーカリストのパフォーマンスもアルバムを通して重要だ。

 プロデューサーは今回から、第4のメンバーとまでいわれたネリー・フーパーではなくMassive Attack & ニール・ダヴィッジとなっている。ミックスは大物スパイク・ステント(マドンナ、U2、ビョークなどのミキサー&エンジニア)。エンジニアリング、プリプロダクション、ミックスどれをとっても申し分なく、昨今のハードディスク主体のレコーディングと非破壊編集を予見していた。全編を通じて処理されている大胆且つ深いディレイ&フィルターワークにステントの特徴がみられるし、ちょっとしたハプニングもダブに生かしてしまうニール・ダヴィッジのエンジニアリングの功績も大きい。そしてなりより、この何処までも深く、暗く現代の暗澹を抉り出すサウンドを是非体感してほしい。

2012年12月30日日曜日

Standard Time Volume 1|Wynton Marsalis



 "Standard Time"シリーズ最初の一枚にあたる今作は発表当時の印象は地味なものだった。これまでウィントン・マーサリスといえば「Wynton Marsalis」「Think Of One」などで見せた驚異的なテクニックと派手なフレーズ、それに"V.S.O.P."や"Jazz Messengers"などで見せた激烈でハードなバンドサウンドの話題が先行することが多かった。しかしながら「JMood」「Black Codes」辺りからじわりと熟練したグルーブを聴かせ始め、今作で一つの完成した領域に到達した。

 タイトル通りジャズのスタンダード、しかも名曲ばかりを扱ったこのアルバムは他のアーティストのスタンダード曲集とは少し趣が違う。例えばラテンビートから始まる"Caravan"や変拍子の嵐"枯葉"などにも緻密なアレンジと高い演奏力が伺えるし、原曲を修飾する淀むところのないフレーズの豊かさとクールな緊張感も新しい「スタンダード」を提示したといっていいだろう。何よりすばらしいのはプレイヤーのリーダーアルバムで終わるところがなくグループとしての複雑なインタープレイが楽しめる点にある。

 このアルバムはじっくり何回も聴くことをお勧めする。なぜなら複雑に絡み合った互いのプレイの妙は一聴してもすぐにはわからないからだ。そして、ジャズマニアにもジャズビギナーにも偏見なく勧められる、今聴いても“新しい”発見のある「スタンダード」である。

2012年11月20日火曜日

B-2 Unit|Ryuichi Sakamoto



 1980年に発表された坂本“教授”2枚目のソロ・アルバム。教授のキャリアの中で最もアバン・ギャルドであり最もダブ的な、刺激に満ちたサウンド。そしていわゆる産業音楽(商業音楽)へのアンチ・テーゼだと本人は語るように、この時代の教授はファースト『千のナイフ』でも見せる激しく尖った感性が衝撃度を増し、全方向へ訴えかけるかのような峻烈なコンセプトに貫かれている。

 レコーディングはロンドンの老舗“エアー・スタジオ”で行われた。ここから後にワールドワイドに発展する予兆を見せ、のちのち互いに影響を与え合う存在になるジャパンのデヴィット・シルヴィアンにも出会うことになる。サウンド面では、この時代から教授の終生の友となるSequential Circuit社製Prophet-5というシンセサイザーを使い始め、そのふくよかなポリモジュレーション・サウンドが他の硬質で無機質な空間を包括する。客員ギタリストはXTCのアンディ・パートリッジ。ここでも教授はアンディのギターを見事にバラバラに解体し、マルセル・デュシャンを思わせるダダイズム的再構築を図っているが、彼の言葉を借りればむしろ現代音楽寄りの“ミュージック・コンクレート”的なサンプリング感覚を追求したかったようだ。

 次に、特筆すべきお気に入りの楽曲を紹介しよう。冒頭の「Differencia」はエレクトリック・ミニマル・パンクというべきか。曲名はフランスの哲学者ジャック・デリダの著書の名前に因む。「Thatness and Thereness」では珍しく教授自らがヴォーカルをとっている。曲自体は印象派的なロマンティックで美しいコードなのに無機質なシンセ音の影響でレトロな未来感を醸している。後にライブ・アルバム『メディア・バーン』でも弾き語りで演奏されているが、こちらのバージョンの方がむしろ平凡に聴こえてしまう。「E3-A」は韓国の光州で暴動があった時にアメリカのCIAが飛ばした偵察機の名前からつけられたらしいが、このアルバム中最もダブ要素が強い。EQでパキパキにカットされたギター音はガムランやカヤグムを意識して作られた。「Riot in Lagos」はまるで現代のオールドスクール・ヒップホップを予見していたかのようだ。数年前にケン・イシイが『Mixup』シリーズ中で“Planet Rock”風にコンパイルしたことも記憶に新しい。そしてかのアフリカ・バンバータやニューヨークのドラスティックなヒップホップアーティストもこのアルバムから多大な影響を受けたと語っている。

 さて、締めくくりとしてラスト曲の「Not the 6 o'clock News」やアルバム全体にみられる特異性とは何なのか?彼は過去のインタビューで「雑踏や電車の中でもたくさんの音が聞こえますね。視線を遠くにしてボーッとしていると沢山の音が聞こえてくると思います。僕は高校の時、そういう訓練をしました。そうすると普段は聞こえないけども、電車の中だけでも軽く10種類ぐらいの音が聞こえてくると思います。そういう耳の訓練というのは、すごく音楽的だと思います。」と語っている。

 アート・オブ・ノイズは「工場のノイズを美しいと思った」と言ったが、この発表自体30年以上も前のアルバム『B2-Unit』が現代に投げかける特異性といえば、アート寄りのノン・ミュージシャンが作ったのでもなく正当な作曲の訓練を受けた前衛音楽家がロックやレゲエという権力を得たことに他ならない。逆にその反対のパターンは現在猖獗を極めている。そして注意深く聞くと、まさに全方向へ訴えかけるかのような峻烈なコンセプトに貫かれている。もし今、初めてこのアルバムを聴く人はいったいどう感じるのだろうか・・。ポピュラーとアバン・ギャルドの中間に位置する意欲作。

2012年10月10日水曜日

Ziggy Stardust|David Bowie



 デヴィッド・ボウイの通算5作目にあたる今作は、彼の最高傑作であるばかりではなく、ロックの最高傑作の一つと言っても過言ではないだろう。なぜなら「ロックはメディアだ」という彼の名言通り、その後のロック・メディアに確固たる礎を築くことになるからだ。それ以前にも「サージェント・ペパーズ~」や「トミー」、「ペット・サウンズ」、「フリーク・アウト」など、他にもたくさんのコンセプト・アルバムは存在していた。しかしここにはコンセプト以上に進化した壮大な物語がちりばめられている。それが「ジギー・スターダスト」という集約された創造であり、大いなる比喩であり、巨大なペルソナだ。

 ボウイというアーティストの最大の特徴の一つとして"ペルソナ"という架空キャラクターが挙げられる。これまでにも彼は「トム少佐」、「アラジン・セイン」、「シン・ホワイト・デューク」、「ダイアモンド・ドッグス」などの演劇的偶像を作り上げてきたわけだが、「ジギー・スターダスト」は存在感・独自性の点でも際立っているといえよう。'73年の初来日でも「自分の中に宇宙を創造したい」と言ったとおり当時のボウイはハインライン、オーウェル、クラークなどのSFを読み耽り、充分咀嚼した上で「火星のスパイダーズ」を伴ったロックスター「ジギー」を降誕させた。

 「自らの肯定と否定を同時に語る意識の高さ」といわれたデヴィッド・ボウイ。彼は破壊と再生を繰り返すアーティストである。そこには人や文化が進化する為には避けられない、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼというプロセスが極めて明示的に具体化されていた。1曲目の「ファイブ・イヤーズ」からラストの「ロックンロールの自殺者」まで一気に駆け抜ける曲の数々は、スターを渇望する我々聴衆とスターとの悲劇の弁証法であり、盛衰の発見である。そしてメディアの、聴衆の真っ只中で我々の為に今なお泣き、熱狂し、死亡し続けているという、奇跡的な物語の体験がこのアルバムなのである。

2012年9月1日土曜日

Odelay|Beck



 脱オルタナ臭さ漂うベックのセカンド。"Loser"で大ヒットした時はワン・ヒット・ワンダー(一発屋)の印象が強かったベックだが、この"Odelay"でその名がロック史に永遠に刻まれることとなった。本家オルタナと比べると格別な脱力感&Lo-Fi感がある。日本ではその容姿のキュートさから女性にも人気がある(ライブなどで顕著)ようだが、したたかに覚醒したポップ・スターを演じている感覚が実に現代的。祖父が現代美術団体フルクサス(ヨーゼフ・ボイスやナム・ジュン・パイク、ヨーコ・オノ、ジョン・ケージなどが有名)のメンバー、アル・ハンセン。そして両親が揃って芸術家という家庭に育った彼だけに、アーティスト・エゴに惑わされず時代に対峙するポップ・ミュータントになったのも頷ける。

 ダスト・ブラザーズとの共同プロデュースによって作り出された今作は、現代アメリカのメルティングスポット的見地とポップ・ミュージックであることのアイロニー、そしてロックの遺産をあざ笑うかのような大胆なサンプリングとコンテキストが聴き所。キャプチャ元のリソースはそれこそ、ジェームズ・ブラウン、ビートルズ、ヴァン・モリソン、ボブ・ディラン、グラム・パーソンズ、カントリー&ウェスタン、ラテン、パンク、ノイズ、ブルース、ジャズと、一昔前ならフランク・ザッパを彷彿させるような強力な折衷感だ。それをより現代的に、つまりヒップホップやR&B、ソフト・ロック等をベック流に豊かにアレンジしている点がさすが。

 このアルバムを聴くと底抜けに深い音楽の楽しさと、ロックというジャンルの持つポテンシャルにまだまだ未来を感じる。ジョニー・ロットンが「ロックは死んだ」と叫び、ビリー・コーガンが「ロックに未来はない」とつぶやき、ビル・ラズウェルが「音楽は出尽くした」と言った。しかしそんな傍ら、ベックはまるで子供がおもちゃで遊ぶように音を拾い、凡百のサンプルを繋ぎ合わせ、身近にある何気ないものを自在に変化させて美しい怪物に作り変える。そして間違いなくこのアルバムによってその後のロックシーンは大きく変わった。正に世紀の重要作の一つであるといえる。